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最高裁判所第一小法廷 平成5年(オ)2142号 判決

上告人

松尾豊

右訴訟代理人弁護士

真鍋能久

増田正典

被上告人

山一證券株式會社

右代表者代表取締役

野澤正平

右訴訟代理人弁護士

吉田清悟

主文

原判決中、上告人の予備的請求二に関する部分を破棄する。

前項の部分につき本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

本件上告中、上告人の主位的請求に関する部分を棄却し、予備的請求一に関する部分を却下する。

前項に関する上告費用は上告人の負担とする。

理由

一  上告代理人真鍋能久、同増田正典の上告理由第一について

1  上告人の主位的請求は、上告人が、平成二年八月一五日、被上告人千里中央支店の森勉支店長(以下「森支店長」という。)との間で、株式売買取引につきいわゆる損失保証契約を締結したと主張して、株価下落等により生じた損失について、右損失保証契約の履行を求めるものである。これに対し、原審は、損失保証契約は、平成三年法律第九六号による証券取引法改正前である本件当時においても、公序良俗に反し無効であるとして、上告人の右請求は棄却すべきであると判断した。所論は、右改正前の証券取引法の下において締結された損失保証契約は、公序良俗に反するものではなく、私法上有効であるというのである。

2  損失保証に関する証券取引法改正等の経過は、次のとおりである。

(一)  平成三年法律第九六号による改正前の証券取引法(以下「旧証券取引法」という。)五〇条一項三号は、有価証券の売買その他の取引につき、証券会社又はその役員、使用人は、顧客に対して当該有価証券について生じた損失の全部又は一部を負担することを約して勧誘する行為をしてはならないとして、これらの者が勧誘に際して損失保証の約束をすることを禁止していた。右の規定は、昭和三〇年代後半に証券会社の経営破綻と証券事故が多発したことから、昭和四〇年法律第九〇号により、証券会社に対する大蔵大臣の監督に関する規定を整備する一環として新設された規定であり(当時は五〇条二号)、それ以前には損失保証に対する法的規制はなかった。

(二)  旧証券取引法五〇条一項三号に違反した場合には、その行為をした証券会社や外務員に対し、証券業の免許の取消し、業務の停止(同法三五条一項二号)、外務員の登録の取消し、職務の停止(同法六四条の三第一項二号)等の行政処分が科されるのみで、刑罰が科されることはなかった。なお、旧証券取引法には、顧客に損失が生じた後にその損失を補てんする行為については、これを禁止する規定が設けられていなかった。

(三)  ところが、平成元年一一月ころに、一部の大手証券会社が大口顧客に対して約一〇〇億円に上る損失補てんを行なっていたことが発覚して、大きな社会問題となり、証券取引の公正性と証券市場の透明性を確保する観点から、証券会社の営業姿勢の適正化が強く求められることとなった。そこで、大蔵省は、同年一二月二六日、日本証券業協会会長あてに、「証券会社の営業姿勢の適性化及び証券事故の未然防止について」と題する証券局長通達を発し、法令上の禁止行為である損失保証による勧誘や特別の利益提供による勧誘はもとより、事後的な損失補てんや特別の利益提供も厳に慎むべきこと等について、所属証券会社に周知徹底させるよう要請した。

(四)  一方、日本証券業協会は、平成元年一二月二六日、右通達を受けて、同協会の内部規則である「協会員の投資勧誘、顧客管理等に関する規則」(昭和五〇年二月一九日 公正慣習規則第九号)を改正し、「協会員は、損失保証による勧誘、特別の利益提供による勧誘を行なわないことはもとより、事後的な損失の補填や特別の利益提供も厳にこれを慎むものとし、取引の公正性の確保につとめるものとする。」との規定(同規則八条)を新設した。

(五)  その後、平成三年六月に、被上告人を含む大手証券会社四社を中心とする多数の証券会社が巨額の損失保証、損失補てんを行っていたという、いわゆる証券不祥事が表面化したことを契機に、平成三年法律第九六号をもって旧証券取引法が改正され(以下、平成四年法律第八七号により改正されたものを含めて「改正証券取引法」という。)、改正証券取引法五〇条の二は、刑罰をもって損失保証及び損失補てんを禁止することとなった。改正証券取引法は、平成四年一月一日から施行され、その後、右五〇条の二の規定は、平成四年法律第八七号により一条繰り下げられ、五〇条の三として現在に至っている。

(六)  改正証券取引法五〇条の三は、一項において、事前の損失保証・利益保証の申込み、約束の禁止(一号)、事後の損失補てん・利益追加の申込み、約束の禁止(二号)、事後の損失補てん・利益追加の実行の禁止(三号)を定め、二項において、顧客についても、その要求により損失保証の約束等をすることを禁止している。そして、改正証券取引法は、違反行為に対しては懲役刑を含む刑罰を科するものとし(一九九条一号の六、二〇〇条三号の三)、さらに、顧客が財産上の利益を得た場合にはその利益を没収・追徴することとしている(二〇〇条の二)。

3  ところで、損失保証は、元来、証券市場における価格形成機能をゆがめるとともに、証券取引の公正及び証券市場に対する信頼を損なうものであって、反社会性の強い行為であるといわなければならず、このことは、右改正証券取引法の施行前においても、異なるところはなかったものというべきである。

もっとも、旧証券取引法の下においては、損失保証は違法な行為とされていたものの、行政処分を科せられていたにすぎず、学説の多くも損失保証契約は私法上有効であると解していたことからすれば、従前は、損失保証が反社会性の強い行為であると明確に認識されてはいなかったものといえる。しかし、前記のとおり、平成元年一一月に、証券会社が損失補てんをしたことが大きな社会問題となり、これを契機として、同年一二月には、大蔵省証券局長通達が発せられ、また、日本証券業協会も右通達を受けて同協会の規則を改正し、事後的な損失補てんを慎むよう求めるとともに、損失保証が法令上の禁止行為であることにつき改めて注意が喚起されたなどの経過からすれば、この過程を通じて、次第に、損失保証が証券取引の公正を害し、社会的に強い非難に値する行為であるとの認識が形成されていったものというべきであり、遅くとも、上告人が被上告人との間で損失保証契約を締結したと主張する平成二年八月一五日当時においては、既に、損失保証が証券取引秩序において許容されない反社会性の強い行為であるとの社会的認識が存在していたものとみるのが相当である。

4 そうすると、上告人主張の損失保証契約は公序に反し無効といわなければならず、これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

二  同第二について

1  上告人の予備的請求二は、森支店長において、上告人に株式買付けを勧誘した際、株価が必ず上がるとの断定的判断を提供したため、上告人が株式買付けを行って損失を被ったものであり、森支店長の右違法勧誘行為は被上告人の事業の執行に関する行為であると主張して、被上告人に対し、使用者責任に基づく損害賠償を求めるものである。原審の確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。

(一)  上告人は、不動産賃貸等を業とする株式会社第一住建(以下「第一住建」という。)の代表者であり、被上告人千里中央支店とは、上告人名義で昭和六二年八月から、第一住建名義で昭和六三年三月から、証券売買取引を行っていた。

(二)  上告人は、株式の取引により損失を被ったことから、平成二年五月以降、上告人名義、第一住建名義での株式の新規取引を控えていた。

(三)  森支店長は、平成二年八月一三日ころ、上告人に対し、株式取引の再開を勧め、上告人は、同月一五日、第一住建名義での株式取引を再開した。

(四)  上告人は、平成二年八月三〇日及び同年九月六日、上告人名義で、本州製紙株と日本軽金属株の買付注文(以下「本件買付け」という。)を行った。

(五)  森支店長は、上告人に対して本件買付けを勧誘した際、本州製紙株については仕手筋からの確実な情報があり八〇〇〇円まで上がる旨、また、日本軽金属株についても二〇〇〇円くらいまでは上がる旨の断定的判断を提供した。

(六)  しかし、上告人は、それまでに森支店長から勧められた株式を買って損失を被っており、森支店長の提供した断定的判断を必ずしも信用することができなかったため、「蹴り込んだら穴埋めをしてくれ」と損失保証を要求した。

(七)  そこで、森支店長は、本件買付けに際し、上告人との間で、株式取引により損失が生じた場合にはこれを補てんする旨の損失保証の合意をした。

2  原審は、右事実関係の下において、上告人は、森支店長の提供した断定的判断を信じたためではなく、森支店長が損失保証の約束をしたために本件買付けを行ったものであり、森支店長の断定的判断の提供と本件買付けとの間には因果関係が存しないとして、上告人の右請求は棄却すべきものであると判断した。

3  しかしながら、原審の右認定判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

証券会社側が特定の株式の価格が騰貴する旨の断定的判断を提供することと、証券会社側と顧客とが株式の価格が下落した場合には損失を補てんする旨の損失保証の合意をすることとは、株式買付けの動機を形成する面において相互に排斥し合う関係にはなく、かえって、本件における原審確定事実のように、証券会社側の顧客に対する一連の株式買付けの勧誘の過程において、証券会社側が断定的判断の提供による勧誘をし、右勧誘を受けた顧客において、その担保ないし保証を求める趣旨で、証券会社側に対し損失が生じた場合にこれを補てんすることを求め、両者の間に損失保証の合意が成立したような場合には、特別の事情の存しない限り、断定的判断の提供と損失保証の双方が顧客の株式買付けの意思決定に影響を及ぼしたものと推認するのが相当であり、損失保証の合意と株式買付けとの間にはもとより、断定的判断の提供と株式買付けとの間にも因果関係が存するものというべきである。

原審は、この点について、上告人本人の供述を根拠に、森支店長の断定的判断の提供と本件買付けとの間に因果関係が存しないと認定しているところ、上告人本人の供述中には、森支店長の提供した断定的判断を必ずしも信用することができなかったから損失保証を求めた旨をいう部分もないではない。しかしながら、上告人本人の供述全般を通じてみれば、上告人としては、森支店長の提供した断定的判断を全面的に信用することには躊躇を覚えたため、その判断に誤りがあった場合に備えて損失保証を求めた旨を述べているにすぎないのであって、独自に入手していた情報等の客観的な裏付けに基づいて右断定的判断を信用しなかった旨を述べているものでないことは明らかである。また、原審は、前記1(五)のような株価高騰の情報が既に一般に伝わっていたことを挙げるが、そうであるとしても、被上告人の支店長の地位にある森支店長が重ねて特定の株式の価格が騰貴する旨を断定的に述べることは、顧客に対して利益を生ずることが確実であるとの認識を強めさせる結果をもたらすものであって、右の点が森支店長の断定的判断の提供と本件買付けとの間の因果関係を断ち切るべき特別の事情に当たるということはできない。

4  そうすると、本件において、他に首肯するに足りる特別の事情の存することについて認定説示することなく、右のような上告人本人の供述部分のみをもって、直ちに森支店長の断定的判断の提供と本件買付けとの間に因果関係が存しないとした原審の前記認定判断には、経験則違反ないし採証法則違反の違法があり、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。したがって、この点をいう論旨は理由がある。

三  以上によれば、原判決中、上告人の予備的請求二に関する部分は破棄を免れず、右部分については、森支店長の断定的判断の提供が社会通念上許容された限度を超えるものであるかなど不法行為の成否について更に審理を尽くさせる必要があるので、これを原審に差し戻すこととし、本件上告中、上告人の主位的請求に関する部分は、理由がないので棄却することとする。なお、上告人は、損失補てん契約の履行を求める予備的請求一に関する部分については上告理由を記載した書面を提出しないから、右部分に関する上告は、不適法として却下することとする。

よって、民訴法四〇七条一項、三九六条、三八四条、三九九条ノ三、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官遠藤光男 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子 裁判官井嶋一友 裁判官藤井正雄)

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